円頓寺パリ祭について
はなまるパピもすです。どうも。
今日から明日まで名古屋市西区の円頓寺商店街ではパリ祭を開催しています。
商店街とかお祭りに関心の高いはまなまるパピもすが簡単に名古屋の円頓寺のことをご紹介します(笑
円頓寺商店街とは
最近、注目の集まるエリア
円頓寺商店街は復活した商店街として取り上げられることも多い商店街です。
地元のテレビ番組で取材があったり、また最近はこんな書籍も出たこともあり、ますます注目が集まっている商店街です。
https://ja-jp.facebook.com/jyouhoushi.paw/
情報誌ポゥ!ってのがありまして、これを見ていくとどんなお店があるのかもわかります。
円頓寺(商店街)は名古屋駅と名古屋城のほぼ中間に位置しています。円頓寺は、大須などとともに昔は繁華街で、信長が清洲から名古屋に移ってきたときに、ついてきた商人の町で、今も名古屋の下町の雰囲気が残っています。円頓寺商店街には、今も飲食店、日用品等のお店が立ち並んでいます。毎年7月に円頓寺本町商店街と共同で開催される円頓寺七夕まつりは商店街と地域の住民による手作りのお祭りです。また、近くには古い蔵や尾根神様の残る保存地区「四間道」があります。
上記は
円頓寺(商店街) | 観光・遊ぶ | 名古屋観光情報公式サイト 名古屋コンシェルジュより引用しました。
フレンチや日本料理屋が相次いで開店
また、円頓寺商店街の含まれる那古野エリアでは、再開発の制限のあるなかで工夫された開発(主にリノベーション)がなされ、たくさんのフレンチや日本料理屋が出店し、新たな顧客層を取り込んでいます。
那古野エリアは一年ぶりくらいに散策しましたが、変化を感じられて日々魅力が増しているように感じます。
名古屋と言えば「魅力がない街」なんていう評価もされますが、この理由の一つに「界隈性のなさ」を挙げられることがあります。
清州越しと戦後の都市計画・区画整理
元々400年前の「清州越し」という街の大移転事業により今の名古屋には碁盤の目で整然と整理された街が出来上がりました。また戦争により市街地は焼き払われ、新たな都市計画により日本一広い道路と呼ばれる通称100メートル道路(幅がおよそ100メートル)が東西に走り、自動車による移動がしやすいという利便性を掴んだ一方で道路により街が大きく分断されるような構造になりました。
下町感、界隈性が良い
一方那古野エリアは昔ながらの長屋が残り、下町感が溢れます。そして、その長屋などがリノベーションされ、細道で構成されるこじんまりとしてエリアが日本の良き風情を再構築しつつ生まれ変わっている、という感じです。
また那古野エリアの最東端、堀川沿いには堀川の水運を利用した商家によりつくられた「四家道」があり、昔の雰囲気を朧気に残しております。
大須商店街という電気街×海外色×若者文化など、色々と混ざり合い混沌とした中で他にはない魅力を生み出す街もあれば、円頓寺商店街のようなところもあるのです。
名古屋駅からも近いエリアなので、是非名古屋にお越しになった時には立ち寄って頂きたいエリアです。
遅くなりましたが、パリ祭について少し。
パリ祭盛り上がりの背景
パリ祭が盛り上がった理由の一つとして特色のある出店があると言えます。
聞くところ、この祭りの発足当初のスタッフさんが出店してくれる店舗(特に飲食店)を探すときに、「他の場所に出店していない」ことを条件にしたと聞いています。
「どこにいっても同じ」では意味がないですよね。確かに。
なかなか出店では味わえない良店の食事をパリ祭でなら楽しめる。
妻やはまる曰く、「飲食店ばかりになって、ちょっと残念」という声が聞こえてきましたが、これまではもっとフランス雑貨のお店なども多くのウェイトを占めていたという印象のようです。
そして今年は天候もよかったので、凄い混みようでした(地元テレビ番組の取材の影響もあるかも)。
これは嬉しい悲鳴ですが、うまくエリアを広げたり近隣地区の商店さんとも協力しながら人を分散させてさらに面白く、なおかつ安全にしなければいけませんね。
最後に、、、
今回は乳児はなまるとは別行動でした~
育児関係ねぇ~
それではまた!